2010年4月21日水曜日

発明はおもしろい パート2

大阪から名古屋に戻り今度は名古屋市内の公私立高校の開拓である。約70校のうちお得意先は10校程度しかない。理科機器メーカー大手二社の独占であった。高校では二社の製品しか買わない学校がほとんど。自社製品は欠陥品が多く売れない。それを売れというのだ。これもめちゃくちゃに厳しい売込みで3年間で約90パーセントの学校と取り引きが出来た。これも並大抵のものではなかった。誠実の塊で営業した。夜には定時制高校も回るが、同僚は麻雀をするのも居たし飲みに行く人等をを横目に見て営業に出た。視力検査器の廉価品も考案した資材に好適なものが見つからずやっと完成した。養護教諭教育の第一人者の先生に相談し先生の名前を借りることの交渉をし成功した。これが安藤式視力検査器で現在も販売されている。体育学部の運動生理学ではシールドルームの設計施工も行った。さらに総合筋力測定台も設計から部材集めをし他社メーカーでは一千万円くらいの物を二百万円くらいで完成し随分喜ばれた。中京大学や東京の安田記念館や外国のアルジェリアにも納入した。実験台に電源装置を組み込むことも考案した教科毎の収納戸棚の考案もしたが全てが上司の手柄になっていて社長も知らない。コーディネートウオールと命名され大ヒット商品となった。全てが私の上司へのレポートが結果を生んでいる。パート3に続く

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