2010年4月26日月曜日

小型薬品庫処分セール!!在庫限り 70%引き

毒物劇物薬品庫の激安セールです。コンパクトだから省スペース、強固頑丈(鋼板厚み1、6㎜)。耐食性粉体塗装。前面スリットの換気方式。法令に基づいた規格、機能。法令規格のラベル付き。医薬用外毒物)(医薬用外劇物)のラベル。危険薬品の保管にも使える小型コンパクトな薬品庫。床、壁面固定金具付き。貴重品保管庫にも使えます。個人研究室に最適。棚板は耐薬品素材で3枚付き。値引き率70パーセント。訳あり商品ですがレッキとした商品です。         在庫限りの限定品。
   
CPY-99A1,は最大で500g瓶24本、25g瓶35本.CPY-99B1は500g瓶30本、25g瓶45本収納可。
コンパクト薬品庫
大きさ CPY-99A1は幅400×奥行300×高さ550㎜、定価81,000が¥24,000
     CPY-99B1は幅500×奥行300×高さ650㎜、定価87,000が¥26,000             (消費税送料込み)

23年1月8日に更に値引きをいたしましたのでそちらのブログをご覧下さい。

2010年4月22日木曜日

ダイヤモンドの結晶構造模型の画像


ダイヤモンド結晶構造模型

分子模型コーナーのダイヤモンド結晶構造模型の画像が公開してございませんでしたので公開いたします。外箱は透明ペット樹脂板で厚さ0,5mmです。アクリルより割れにくく取り扱いやすいのが特徴です。発泡スチロール球は直径40㎜を使用しております。大きさは93×93×93mm塗装はしてございません。 ¥2,700[税込み)

2010年4月21日水曜日

発明はおもしろい パート3

日時計の商品化もした。傾斜台式の矢橋式日時計と水平式日時計である。日時計は設置場所毎に経度緯度を計算し全てが特注品で学校名も入れた。現在でも健在?である。そして自分の描いている理科学に対する思い入れが強くなり自分の思った通りに仕事がしたくなり独立開業した。38歳のときだった。独立後はメーカー品の販売を続けながらパソコンの販売も始めた。富士通のオアシスワープロを1ヶ月で60台以上売った。パソコンも個人の先生にも大量に販売した。現在のように家電店では売っていない頃の話である。メーカ-からどうしたらこんなに売れるのと聞かれたが企業秘密と言い黙していた。わたし流の販売テクで今も秘密である。並行しながら独自の実験器の考案をしネット通販を始めた。そしてテレビ出演や新聞雑誌の記事にもなんども載った。分子模型製作器は自分で全ての書類を作り特許庁に提出一発必中の思いが通じたのか実用新案の取得が出来た。さらに出前実験を提唱し大阪都ホテルの夏祭りに3日間出前実験を行い入場者5000人に達した。子供会やポートメッセなごやの大ステージでの実験ショーも行った。科学漬の毎日で寝ても覚めても道路を走っても全てを科学現象ととらえて子供さんのビックリや驚きに幸せを感じる毎日であります。 科学はたのしいおもしろい です。

発明はおもしろい パート2

大阪から名古屋に戻り今度は名古屋市内の公私立高校の開拓である。約70校のうちお得意先は10校程度しかない。理科機器メーカー大手二社の独占であった。高校では二社の製品しか買わない学校がほとんど。自社製品は欠陥品が多く売れない。それを売れというのだ。これもめちゃくちゃに厳しい売込みで3年間で約90パーセントの学校と取り引きが出来た。これも並大抵のものではなかった。誠実の塊で営業した。夜には定時制高校も回るが、同僚は麻雀をするのも居たし飲みに行く人等をを横目に見て営業に出た。視力検査器の廉価品も考案した資材に好適なものが見つからずやっと完成した。養護教諭教育の第一人者の先生に相談し先生の名前を借りることの交渉をし成功した。これが安藤式視力検査器で現在も販売されている。体育学部の運動生理学ではシールドルームの設計施工も行った。さらに総合筋力測定台も設計から部材集めをし他社メーカーでは一千万円くらいの物を二百万円くらいで完成し随分喜ばれた。中京大学や東京の安田記念館や外国のアルジェリアにも納入した。実験台に電源装置を組み込むことも考案した教科毎の収納戸棚の考案もしたが全てが上司の手柄になっていて社長も知らない。コーディネートウオールと命名され大ヒット商品となった。全てが私の上司へのレポートが結果を生んでいる。パート3に続く

2010年4月18日日曜日

発明はおもしろい!! パート1

柘植詔生は理科学機器や保健室の医療機器の会社に入社後多くの発明をしてきました。数えあげればきりがありませんので代表的な発明や実績を申し上げます。会社の所在地は名古屋なのに名古屋市内の小中学校の取引先は皆無状態でした。その市場の開拓、毎日40校ほど回りましたが何処も門前払いでした。当時120校あった小中学校は3日有れば全てが回れました。毎日がそれの繰り返しで受注の無い日が続きました。それでもめげず3年ほどで約7割以上の学校と取引が出来るようになりました。こうして書くといとも簡単そうに思えますが会社に帰ると上司に叱られ毎日が針のむしろでした。日曜日に子供科学教室があれば出かけ講師の先生とも仲良くなれ、その先生の紹介でさらにお客は増えました.あるときは今で言うビオトープを作るから川に生えている草を身の危険にされされながら採って無償で差しあげました。理科機器屋はなんでも屋なんです。大阪では実験室の一括受注にも成功。物理、化学、生物、地学の実験室と準備室さらにプラネタリウムと会社始まって以来の大型受注でした。今でも忘れません。住吉中学校です。PL学園の天体ドーム。粘性測定システムの特注品の製作。保健室設備では養護教諭教育の第一人者の先生に訪問中の関西の零細企業が視力検査器の相談に来ていてその情報を報告し独占契約に結び付けたのがスピード視力検査器で大ヒット商品になる。業者からの集金システムの提言。等 発明はパート2に続く。

2010年4月16日金曜日

理科教育の現場を支えて50年超え!!

手作り科学工房 メイトウサイエンスの柘植詔生(つげのりお)は学校の理科教育機器の取り扱い歴50年を超えました。全国にも理科機器を扱う方は沢山いらっしゃいますが50年の現場実績を持つ方は数少ないと思います。私(柘植詔生)は理科機器の販売は勿論のこと、自作の実験器まで考案しネット通販、さらには出前実験をしたり、テレビ出演、新聞雑誌等の取材を受けたりなど数多くの実績は全国広しといえどもこれだけの実績を持つ人は私だけだと自負致しております。科学教育のために50年以上尽くし現在も更なる研究開発意欲に燃えています。子供さんたちが科学に目覚める機会作りにお役にたてればこんな幸せは無いと思い毎日物作りに励んでいます。お金儲けが私の目的ではありません。私は理科教育に貢献したいの一心でありこの気持ちは死ぬまで止むことはありません。

柘植詔生(つげのりお)の、名前の由来。詔(みことのり)の根源は天皇陛下から発せられる公文書の事を「詔書」と言い天皇を表す文字のことである。現在は勅書と変わっている。太平洋戦争開戦布告にまつわる大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)が毎月8日と決められ毎月8日には校長先生からの訓示が長々と行われ国旗掲揚、国歌斉唱が行われたと言う。したがって天皇陛下のことを表すときに詔(みことのり)と言う文字を使っていたのです。詔にまつわる日に私が生まれたので詔生と祖父がつけてくれました。昔学校の校長先生に名刺を渡したときに「あなたは8日生まれでしょう」と言われたことがありました。何故ですかとお聞きしたら「名刺に書いてあるから判りました」と言われたことが数度ありました。今ではこのようなことを知る人は数少ないと思います。